美しい里山の風景、いつも雀はそこにいた。

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日本の原風景、里山の秋。

スズメが減ったといわれている。その数10分の1に激減ともいわれますが、正確な個体数や減少の理由なども過去のデータが少ないらしく、諸説があっても推測の域を出ず定かではないようです。つまりあまりにも私たちの身近に多く存在していたため、ことさらに細かな観察をしていなかったのではないかと思います。私の印象でも確かに近頃はスズメが少なくカラスが多くなったように感じていましたが、そこまで減少してたのかと愕然とします。ある日ふと気がつけば大きな変化が起こっていたことは、ここ20〜30年の間にもいろいろあって、その時は驚くものの、そういうことに慣れすぎてしまったのか何となく受け入れてしまうのが現代の世相かもしれません。

技術革新や制度の変革、あるいは戦争などで著しく物事が変転することは人類の歴史でも多々あります。そして、その変化をどちらかといえば人間社会では「進歩」と捉えることが多く、たしかにそういう事柄や側面もあるとは思います。私どもの仕事であるデザインでも、時代の変化に着目して発想をするのが日常です。しかしそれは、人間が意識的に行なう人間社会の事柄についてだけいえることで、こと自然に関しては、純粋な意味での生物の進化や自然淘汰を除けば,人為的な原因や影響で引き起こされる自然の変化は、どう考えても進化とはいえません。そりゃそうですよ、あの愛くるしいスズメが消えていかなければならない理由はどこにも無いからです。

犬や猫のように、留鳥のスズメは私たちの日常周辺にいつも群れていたものです。そのためスズメは、シナントロープ(人間の近くに生息し人間社会の環境に適応して共生する野生の動植物)の典型といわれますが、はたしてそうなのか、あるいはそれ故に数が減少したのではないかと思うのです。なぜなら,今の都会での環境に適合して生息している鳥を「都市鳥」といいますが、スズメ、カラス、ドバト、トビは昔からの常連で、近頃はヒヨドリ、キジバト、メジロ、カワセミ、ハクセキレイなども都会へ進出しており、驚くことにタカまでも棲息しているそうです。都市鳥になるには、都市環境への順応性、知恵がある、人間を怖がらないなどが条件のようでが、スズメは少し恐がりなのに少し鈍感なところもあり、餌となる残飯などの争奪戦ではカラスやハト、ヒヨドリなど大きな鳥に負けてしまいそうで、また、ビルが林立する純然たる都市部には瓦のスキ間に巣づくりするスズメに適した場所が少ないなど、最近の都会はスズメにとって余り快適な場所といえないのではないかと思います。一方、スズメが住みやすい田舎はどうでしょう。スズメはシナントロープの度合が強く、人がいなくなるとスズメもいなくなるそうですが、地方の過疎が止まらず,消えてしまう市町村もあるほどに都市への一極集中の流れが進んでいる昨今を考えると、スズメの安住の地はここでも減少していることになり、結果としてスズメが減っていく。そんな仮説を立てました。専門的なことを知らない我田引水の私見かもしれませんが、少しは該当する部分もあるのではと思います。

コンピューターがますます進化し,ビッグデータが解析する進歩・進化へと一直線に社会が動き、ますます都市化あるいは都市志向が
進んだ時、都会は、人間にとっても望ましい場に、果たしてなるのでしょうか。

里山は、人をはじめ様々な生き物の共生で、あの味わい深い景観を維持しています。そこには民話のふるさとがあります。そう遠くない未来のある日、幼子に「舌きり雀」のお話をすると、「スズメってなに?」て聞かれることのないようにしたいものです。